「ケ〆とはじめ -鶴の恩返し-」

四方山話し-4

表付き

 

今から20年ほど前に、「あるお寺から預かった平安時代に位の高い方が使われていたと伝来のあるはきものを見てほしい」と、表付きのはきものが店に持ち込まれたことがあった。

 

表の様子は今も全く変わらない。いや凌駕する美しさ、

伝来が正しければこの時代にはもう技術が確立していたのだ。素晴らしい仕事に驚いた。

江戸の頃は、身分の高い者ほど表を高く重ねて履いていたといわれている。

そもそもはきものの礼装は下駄。

舞妓さんの「こっぽり」や高僧の履く「甲平下駄」に今もそのいわれを見ることができる。

本来礼装に使われてきた表付きのぞうりも、戦後の物資が不足した時代には、井戸端の洗濯場などで使われていた為、日常に使うものと認識されている方も多い。

 

 

自国産のものこそがいちばん身近で手に入りやすいものとなり、手に入りにくい西洋の革靴が上等となる。

支配階級が履いていたものが庶民へと広がり、そして身近な品々が衰退していく。

 

出来れば「重ねる」「敷く」という感覚を大切に守りたい。

格調と日常の境がなくなる今日この頃、だからこそ「気〆は大切」との先代の言葉が重い。

 

この格調のある表付きを、ものの見事にファッションへと昇華させ、つむぎの着物に合わせたのはデザイナーの稲葉賀惠さん。

自然の素材で作られた、素朴さという目線はまさに新しい時代、都会を表現する美しさがあった。

 

 

それから時が流れ、「いつ履くのだろう」と、思うほど、とっても個性的で存在感のあるはきものを仕立てた女将。

モノだけを見ると豪華絢爛。威嚇をしているかのようにも見えるほど個性的な組み合わせだが、女将の側に行けば、周りと喧嘩せず、引き立てる趣もあり。調和を生み出す。

 

ものはそれひとつでは意味をなさない。

それを使う人がいて、且つ、多くのものと関係し合い初めて意味を持つ。

ある人が履くと華やかで安らいだ雰囲気となるかと思えば、他の方が履くと賑やかで騒がしく映ったり……。

 

「モノが真ん中ではなく人。」

 

素朴な表付き、格調のある表付き、格調とファッションが融合する信長のような表付き。

お人柄が、お誂えが多様性を生む。

 

 

幾多数多ある組み合わせの中から、あなたらしいモノ、
その方ならではの一足は、かけがえのない調和の美しさを感じる。

 

調和に花心。